【実は1940年代からリリーズ済】日産の最新EV車を徹底解剖!

全世界的に電気自動車への移行が進む中、日本も2030年頃にはガソリン車の製造が廃止となりそうです。

もちろん、HVなどモーター併用の車はその限りではありませんが、各自動車メーカーも2030年に向け、電気自動車の開発を急いでいます。

日産も来るべき電気自動車の時代に向け、新たな車種を相次いで発表していますが、実は日産は日本の自動車メーカーの中でも、電気自動車の開発に古くから取り組んでいるメーカーなのです。

その歴史は戦後直後にまでさかのぼることができるほど。では、その日産の電気自動車開発の歴史と現在販売されている新車種などについて紹介します。

日産の電気自動車は実はかなりの歴史がある

日産は戦後まもなくから電気自動車の開発に携わってきました。しかもその車の性能は現在でも充分通用するほど優れたもので、日産の技術力の高さが伺えます。

さまざまな時代背景の中、日産はその時代に合った電気自動車を発表。そして来る未来に向けさらなる研究・開発を進めているのです。

1940〜1960年代のNISSANのEV車

1945年、6年間にわたり世界を二分して争われてきた第二次世界大戦が終戦を迎えます。当時の日本は、極端なガソリン不足なためガソリンが流通規制となっていて手に入りにくい状況にありました。

当然、車の燃料として使えるわけがありません。一方で、戦時中に日本の戦闘機にてこずらされたアメリカは戦後GHQの支配下にある日本に対し、航空機の製造を禁止するよう命令を出したのです。

そのため、それまで航空機の製造に従事してきたメーカーや技術者たちは行き場を失くし、自動車業界へとその居場所を求めていきました。中島飛行機が後にスバルとなったのは有名な話でしょう。

こうした背景の中、立川飛行機の技術者たちがガソリンではなく電気を動力源とした車、つまり「電気自動車」を開発しようと立ち上がりました。

そして異例の早さとも言える終戦からわずか2年後の1947年に「たま電気自動車」を作り上げたのです。

制作したのは「東京電気自動車」で、後の「たま電気自動車」「たま自動車」となります。ちなみに「たま」は工場があった「多摩」に由来します。

こうして「たま電気自動車」は日本で最初の、本格的な量産型の電気自動車となったのです。当時、現在の経産省である商工省主催の電気自動車性能試験にて航続距離96km、最高速度35kmとカタログの記載値以上の数値を記録しました。

これが評価され主にタクシーとして運用され多くの人々に親しまれたのです。その後、たま自動車は5人乗りで最高速度55km、航続距離200kmという「たまセニア」にまで発展していきました。

ただ、これらの電気自動車は1950年に勃発した朝鮮戦争による鉛の高騰でバッテリーの製造が困難になってきたことや、ガソリンの供給が徐々に改善され民間にも普及されてきたことを原因に1950年代に入った直後、役目が終わり製造終了となったのです。

1970年代のNISSANのEV車

たま電気自動車は後にたま自動車となり、1952年にプリンス自動車工業と社名変更をしました。そして1966年に日産自動車と合併します。

その日産は、1970年に開催された東京モーターショーにNissan 315Xというコンセプトカーを出展。このNissan 315Xには回生ブレーキが装備されていて、現在のハイブリッドカーへ脈々と繋がっているということも興味深いところでしょう。

そして1973年には「EV4-P電気トラック実験車」を発表します。これは鉛バッテリーとDCモーターを搭載したもので、航続距離302kmという高性能な車でした。

1980年代のNISSANのEV車

まずは1983年に電気自動車の実験車として交流モーター採用の「マーチEV」を発表。そして1985年には第26回東京モーターショーにワンボックスタイプの「EVガイド-II」が参考出品されます。

これは6人乗りのワンボックスタイプのもので、出品時は屋根のないオープンタイプの車でした。そして出品後に屋根を取り付け、皇族や国賓が工場見学をする際に使われたようです。モーターは直流直巻で最高速度は16km、航続距離は60kmとなります。

その後、1985年にはリゾートホテル用として「EVリゾート」を販売。40台以上が出荷されました。

1988年には自動車メーカー5社が共同開発した「ごみ収集車」が主に横浜市に向けて販売されています。この年代は地道に日産 EVの研究と実験に費やした期間と言えるでしょう。

1990年代のNISSANのEV車

さて1990年代になると、それまでの電気自動車の開発で培ってきたノウハウが一気に開花していきます。その手始めとなるのが、1991年に発表された「プレジデントEV」です。

これは、1990年に販売となった3代目プレジデントを改良した特殊車両となります。オープンボディという仕様のため、例えば大相撲の力士の優勝パレードに使われたり、1991年の世界陸上の審判長搭乗者としても登場。

テレビの前の人々に対して強烈なアピールとなりました。バッテリーは鉛で最高速度40km、航続距離は100kmです。

同じく1991年に発表された「FEV」は同年の東京モーターショーに出品され、注目を集めました。

この「FEV」は人と地球に優しい小型タウンカーとして、主に都市部での利用を考えて作られたもので、大きな特徴としては超急速充電システムがあります。

初期のEVは充電にかなりの時間を要するもので、それがネックとなっていました。しかしこのシステムにより一般に向けた実用化に大きく踏み出したことになります。

車両の空気抵抗を極限まで減らすデザイン、またアルミ素材による軽量化、モーターも新たに開発しました。そしてルーフ上にはソーラーパネルを設置して、オーディオやエアコンに充てる電力を確保しています。

1993年には「セドリックEV」が環境庁に貸与され、大気保全局庁車として活躍。低公害車の基礎調査としての役割も持っていました。最高速度は85km、航続距離は85kmです。

1994年には電力会社など法人向けに「アベニールEV」を販売、1995年の第31回東京モーターショーでは「FEV」をより現実感のある車に仕上げた「FEV-Ⅱ」を発表します。

また「FEV-Ⅱ」と同時に出品された「プレーリージョイEV」は1997年にリチウム電池を世界で初めて搭載した電気自動車として販売されました。

北極観測センターの支援車としても利用され、過酷な環境下でも故障することなく充分な働きをした、その機能性と耐久性が高い信頼性を得ています。

1995年の第31回東京モーターショーではもう一台、実用化された日産 EVがあります。それが「ルネッサEV」です。

国内はもちろんのことアメリカのカリフォルニア州でも「アルトラEV」として200台程度販売された代物。

また、アメリカのエネルギー関係の会社やロサンゼルス市の水道・電気局、国際空港のレンタカー、そしてサンタモニカの警察でも利用されました。最高速度は120km、航続距離130kmはとなります。

2000年代のNISSANのEV車

2000年に入り、日産が放った日産 EVとして最初のモデルが「ハイパーミニ」です。2人乗りの超小型電気自動車で最高速度は100kmで航続距離は115kmとなります。

2005年には都市部で働く女性に向けたコンセプトカー「ピボ」を発表。これはバックの際にキャビンの向きを後に変えられるというもので、バック走行の必要がないという画期的な車でした。

2007年に登場した「ミクシム」は、運転席が車内の中心に位置していて、まるでコンピューターゲームを楽しんでいるかのようなバーチャル体験を味わえることが特徴。

高性能なリチウムイオンバッテリーとスーパーモーターを搭載したスポーツタイプの日産 EVです。

2008年には日本と北米で「電気自動車実験車両」を発売。2012年に本格的な市場参入を目指すための試作モデルでした。ラミネート型のリチウムイオンバッテリー使用で、車内の居住空間を広く取ることができています。

そして2009年にはお馴染みの日産ルーフが登場し、また同時期に「ランドグライダー」を提案と、2010年代に向けて電気自動車の可能性がはっきり捉えられた時期となりました。

2010年代のNISSANのEV車

2010年に入り最初に発表された日産 EVは「タウンポッド」です。クリエイティブな事業を目指す個人事業化に向けた、とても斬新なスタイリングの車でした。

翌2011年には2台の車が登場。まずは「エスフロー」です。特徴としてはリチウム電池を分割配置することで、スポーツカーとして安定した走りを実現したという点が挙げられます。

2基のモーターはミッドシップへ配置、左右後輪は独立駆動制御という旋回性能とエネルギー回生性能の向上に工夫がみられる一台です。

次に「ピボ3」ですが、こちらは多様化するライフスタイルに適応するように作られた車で、個人と社会のニーズをどちらも満たすというコンセプトを実現しました。

2012年、北米国際自動車ショーで公開されたのが「e-NV200 Concept」です。量産型電気自動車として設計され、様々なシーンで活躍できるような作りとなっています。

2013年、第43回東京モーターショーに「ニッサン ブレードグライダー」を出展。自動車が世に現れてから100余年という節目を迎え、そしてそこからまた100年先を見据えた時、日産という自動車メーカーがどういった思いをもって電気自動車に関わっていくのかという決意を表した車でした。

そして2014年。多目的商用バンとして「e-NV200」を発表します。ゆったりとした室内空間と加速性、静粛性を持ち商用・乗用と使い方を選ばない使いやすいモデルでした。

2015年には好評の「日産リーフ」をマイナーチェンジ。航続距離を280kmに伸ばし、自動ブレーキも全グレード車に標準装備しました。

さらに2016年には「ブレードグライダー」のプロトタイプを発表、2017年には「新型日産リーフ」、2018年には、中国生産による「シルフィーゼロエミッション」が発売されます。

そして2010年代を締めくくったのが2019年に発売された「日産リーフe+」です。従来の「日産リーフ」に新開発したe-パワートレインを採用したことで、パフォーマンスが格段に向上しました。

日産のBEV車(純電気自動車)のラインナップ(2021年最新版)

BEVとは?

BEVは「battery electric vehicle」の略で、バッテリーの電力のみでモーターを駆動させる車のことです。HVなどもモーター駆動しますが、内部で発電する機能を持ちますので、こういったものと区別するため敢えてBEVと表記します。

2021年現在、日産が販売しているBEVは「日産リーフ」のみ。2010年に発売され日本だけでなくアメリカやヨーロッパなどでも販売され、世界的に評価されてきた車種です。

そして、2017年に2代目日産リーフが発表されます。「e-Pedal」や「プロパイロットパーキング」など新たな機能が装備。

2019年には62kWhの大容量リチウムイオンバッテリーを搭載し、「リーフe+」として新たに販売され、アメリカやヨーロッパでも発売予定と発表されました。

この「日産リーフ」後の日産の新たなBEVとして「アリア」の投入が計画されています。「アリア」は前輪駆動とAWDとがあり、特にAWDには前後に2個のモーターを装備。

「e-4ORCE」という駆動力を連続的に変化させることができるシステムを搭載するということです。

日産のPHEV車(プラグインハイブリッド車) ラインナップ(2021年最新版)

PHEVとは?

PHEVは外部からバッテリーへの充電機能を持たせたハイブリッドカーのことです。容量も大幅に増え、走行距離も伸びています。

もしバッテリーを使いきった場合も、ガソリンエンジンで走行できるので、長い距離でも全く問題はありません。

日産はこのPHEV車に関しては、これまで発表していませんでした。しかし2021年度に欧州で販売する計画があります。

その車は日本で以前「デュアリス」という名称で販売されていたもので、これをベースにしたクロスオーバーSUV「キャシュカイ」です。

日産はe-POWERシリーズのほうへ力を注いでいたのですが、初のPHEV車投入ということで業界内外から熱い視線が注がれています。

最後に

日産の電気自動車にはしっかりとした歴史があり、その根底には社会のニーズを敏感に感じ取る日産のセンスがあるのです。

そのセンスを生かし、様々な電気自動車を世に送り出してきました。戦後、ガソリン不足という状況下で開発した電気自動車に助けられた人は多いはずです。

そしてこれから先、ガソリン車が廃止になるという流れに日産はその際立った高いセンスを最大限に生かして、時代が望む車を開発し続けることでしょう。

高い技術はもちろんのこと、日産には他の自動車メーカーにはない、独特のアイデアがあります。

そのアイデアを具体的に立ち上げる能力がある日産という会社から、これからも目が離せません。